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競馬予想 無料 3月 阪神競馬場開催 阪神大賞典についての情報掲載☆レースデータ分析も公開中!
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競馬予想 無料 阪神大賞典 歴史


  • 1953年 - 阪神競馬場の芝2000mの4歳(現3歳)以上の混合のハンデキャップの重賞競走、阪神大賞典として創設。
  • 1956年 - 負担重量が別定に変更。
  • 1957年 - 施行距離を芝2200mに変更。
  • 1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計が変更になったのに伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1965年 - 施行距離を芝3100mに変更。
  • 1967年 - キーストンが故障を発症し騎手が落馬、競走中止。
  • 1974年 - 施行距離を芝3000mに変更。
  • 1977年
    • 久保敏文が騎手として史上初の3連覇。
    • 久保道雄が調教師として史上初の連覇。
  • 1980年 - 京都競馬場の改修工事による振替開催により京都競馬場の芝外回り3000mで施行。
  • 1984年
    • グレード制施行によりGIIに格付け。
    • シンブラウンが史上初の連覇。
    • 布施正が調教師として2人目の連覇。
  • 1987年 - 開催時期変更(12月から3月に移動)に伴い、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。
  • 1988年 - タマモクロスとダイナカーペンターが同着優勝。
  • 1989年 - 2位入線のスルーオダイナが進路妨害により失格。
  • 1991年 - 阪神競馬場の改修工事により中京競馬場の芝3000mで施行。
  • 1992年
    • メジロマックイーンが2頭目の連覇。
    • 池江泰郎が調教師として3人目の連覇。
  • 1994年 - 京都競馬場の改修工事による振替開催により中京競馬場の芝2800mで施行。
  • 1995年
    • 指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
    • 阪神競馬場の阪神・淡路大震災の影響による復旧工事により京都競馬場の芝外回り3000mで施行。
  • 1996年
    • ナリタブライアンが3頭目の連覇。
    • 大久保正陽が調教師として4人目の連覇。
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
    • ナリタトップロードが芝3000mの世界レコード3:02.5で圧勝。
  • 2002年
    • 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
    • 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)より国際GIIに指定。
    • ナリタトップロードが4頭目の連覇。
    • 沖芳夫が調教師として5人目の連覇。
  • 2003年 - 外国調教馬の出走枠が8頭に拡大。
  • 2007年 - 武豊が騎手として3回目の連覇。

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競馬予想 無料 阪神大賞典 出走資格と賞金


出走資格

サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、

地方所属の競走馬(2頭まで)と外国調教馬(8頭まで)。



負担重量

別定で4歳は56キロ、5歳以上は57キロ、

牝馬は2キロ減を基本とし、

過去1年以内のGI優勝馬(牝馬限定GI優勝は除く)は2キロ、

牝馬限定GI・GII(牝馬限定GIIは除く)優勝馬は1キロ、

1年より過去のGI(牝馬限定GIは除く)優勝馬は1キロの負担が課せられる。

ただし2歳時のグレード・グループ優勝は対象外。



総額賞金

1億2,330万円で、

1着賞金6,500万円、2着賞金2,600万円、3着賞金1,600万円、

4着賞金980万円、5着賞金650万円と定められている。



現在の優勝レイの配色は、

赤色地に黄色文字となっている。



なお地方馬に限られるが、

上位2着までに限り天皇賞(春)の出走権(優先出走権ではない)が

与えられるトライアル競走である



タグ:競馬予想 無料  ゲーム

競馬予想 無料 阪神大賞典 概要


1953年に4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走、

「阪神大賞典」として創設、

第1回は現在とは違い12月に阪神競馬場の芝2000mで施行された。


1955年には負担重量を別定に変更、

翌1957年からは11月初頭に施行時期を移し、

施行距離を芝2200mに変更した。


1961年からは施行時期を12月の下旬に変更、

施行時期が現在の3月になる1986年まで1956年から始まった

中山グランプリ(有馬記念)と並ぶ

中央競馬の冬の風物詩に定着する事になる。

1965年からは施行距離を芝3100mに変更、

1974年から現在の芝3000mに変更、

1978年から混合競走に指定、

外国産馬の出走が可能となり、

1980年は京都競馬場の改修工事による振替開催より

京都競馬場の芝外回り3000mで施行した。


1984年からはグレード制施行によりGIIに格付けされるともに、

開催週が早まり有馬記念の前哨戦と位置付けされたが、

1987年からは施行時期を現在の3月下旬に、

また出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、

天皇賞(春)の前哨戦として定着して行く事になる。


1991年は阪神競馬場の改修工事により中京競馬場の芝3000mで施行、

1994年は京都競馬場の改修工事による振替開催により

再び中京競馬場の芝2800mで施行、

翌年には指定競走に指定、

地方所属の競走馬も出走が可能になったが、

阪神競馬場の阪神・淡路大震災の影響による復旧工事により

京都競馬場の芝3000mで施行、

2002年からは混合競走から国際競走に指定されると

同時に国際グレードでGIIに格付け、

外国調教馬も出走が可能になった。


芝3000mの長距離の重賞(GII)競走である事から

芝3200mの長距離で施行される天皇賞(春)の

最も重要な前哨戦である。

これは他の前哨戦が芝2500mで施行する日経賞と

芝2000mで施行する大阪杯の2重賞(GII)競走であるが為、

天皇賞(春)の距離に一番近いのが本競走だからある。


また第32回東京優駿(日本ダービー)優勝馬キーストンが

最後の直線で左前第一指関節完全脱臼を発症し落馬、

振り落とされた鞍上の山本正司に3本脚で寄り添ったり、

不調だった1994年の年度代表馬ナリタブライアン(当時・牡5)と

1995年の年度代表馬マヤノトップガン(当時・牡4)が

名勝負を繰り広げたのも本競走である。

ちなみに後者は関西テレビの競馬番組ドリーム競馬の

オープニング映像に一時期用いられるほど、

印象深いレースだった(1996年秋開催から使用)。

この番組のオープニング映像にGII競走の映像が用いられたのは

後にも先にも、これだけである。


馬券的には、

1番人気馬は2000年から2004年まで5連勝、

1994年から2007年まで14年連続1番人気馬が全て連に絡み、

さらに1990年から2008年までは19年連続複勝圏を外さなかった。

近年では非常に堅いレースとして知られている。



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